一枚の肖像画から分かる歴史
更新日: 2026年 9月 17日
![]()
寺田敬村翁肖像画①
寺田敬村翁肖像画②
校長室に一枚の肖像画があります。描かれているのは、本校の創立に尽力した寺田敬三郎(敬村)氏です。
本校は、明治6年(1873年)5月5日、永興寺を仮校舎としてスタートしました。学制が発布された翌年、神崎の地にいち早く学校を設立するために尽力したのが、寺田本家第17代当主の寺田敬三郎(敬村)氏でした。
そして、この肖像画の作者は、椿櫻湖(つばきあきこ)
という日本画家です。椿櫻湖は、明治9年に旧米沢村に生まれ、明治から大正にかけて活躍した日本画家で、本名を宗太郎といいます。幼少の頃から絵を描くことが好きだった宗太郎は、18歳のときに東京へ出て旧幕府の侍医・村岡良辰に仕え、良辰の次子・桜塘(容斎流)に日本画を学びました。その後、日本画の大家・松本楓湖(まつもとふうこ)の門に入り、日本美術院展覧会や日本美術協会など、さまざまな展覧会に作品を出品しました。明治27年には美術展覧会で二等賞を受賞するなど、画家として活躍していたことが記録されています。また、東京文化財研究所の資料には、明治32年(1899年)から大正10年(1921年)にかけて、書画家番付に椿櫻湖の名前がたびたび掲載されています。
現在の神崎町は、昭和30年(1955年)に神崎町と米沢村が合併して誕生しました。つまり、椿櫻湖は現在の神崎町にゆかりのある画家ということになります。そのような地域ゆかりの画家が描いた寺田敬村翁の肖像画が、今も本校の校長室に残されています。
153年前に本校の創立に尽力した寺田敬三郎(敬村)氏。そして、晩年の寺田敬村翁の姿を描いた椿櫻湖画伯。校長室にある一枚の肖像画を通して、本校の歴史だけでなく、神崎町にゆかりのある人物や、地域の文化・芸術の歴史にも触れることができます。何気なく目にしている一枚の肖像画ですが、そこには、本校と地域をつなぐ長い歴史が刻まれています。





