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本校の校歌について

更新日: 2024627

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 本校の校歌は、明治43年(1910年)に制定されました。作詞は、佐佐木 信綱 氏、作曲は岡野 貞一 氏です。
 佐佐木 氏は、明治5年(1872年)に今の三重県鈴鹿市に生まれました。家は代々医者、学者で、佐佐木 氏満4歳の時、万葉集、古今集の名歌を暗唱し、12歳で東京大学文学部古典科に入学、16歳で卒業した天才歌人です。「夏は来ぬ」や「すずめ」など、唱歌の名作も生み出しています。また、国文学者としての実績も豊富で、特に「万葉集」の研究で有名であり、文学博士でもありました。昭和12年(1937年)には、日本画家の横山 大観 氏らとともに第1回文化勲章を受賞しています。佐佐木 氏が本校の校歌を作詞したのは、38歳の時です。すでに歌人・国文学者として有名だった佐佐木 氏に本校の校歌を作詞してもらえた経緯ははっきりわかりませんが、寺田本家20代当主で、本校の学務委員をされていた寺田 憲 氏が、当時活躍していた歌人とお付き合いがあったということなので、そのつながりだと思われます。
 岡野 氏は、明治11年(1878年)に今の鳥取県鳥取市に生まれました。15歳の時にキリスト教の宣教師からオルガンの演奏法を習い、18歳の時に上京して東京音楽学校(現在の東京藝術大学)に入学しました。その後、明治39年(1906年)に東京音楽学校助教授、大正12年(1923年)に同学校の教授にとなり、音楽教育の指導者の育成に尽力されました。大正7年(1918年)から文部省唱歌の作曲委員を務められ、今でも音楽の授業で歌われている「故郷」「春の小川」「春が来た」「紅葉」「おぼろ月夜」など、たくさんの名曲を作曲しました。岡野 氏が本校の校歌を作曲したのは、東京音楽学校の助教授となって4年目の32歳の時です。岡野 氏は、この頃から多くの唱歌を作曲し、明治43年に「春が来た」、明治44年に「紅葉」を発表しています。岡野 氏に本校の校歌を作曲してもらえた経緯についてもはっきりわかりませんが、岡野 氏は、当時、日本各地の校歌の作曲を数多く手がけていたようです。
 調べた範囲では、本校の他に、鎌倉市立御成小学校、川崎市立幸町小学校、岐阜県立武義高等学校の校歌が、佐佐木 信綱 氏作詞、岡野 貞一 氏作曲です。いずれにしても、このように立派な歌人・国文学者である佐佐木 信綱 氏に作詞をしていただき、音楽の教科書に載っている唱歌を数多く残された岡野 貞一 氏に作曲していただいた校歌は大変貴重であり、本校の宝です。これからも大切にしていきたいと思います。
 

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一番右の人物が佐佐木 信綱 氏

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本校の校歌の碑